相手に捶をひとつもらって。
勁力を使って。
相手を制御する練習にて。
御する側は。
力感を得ないのと同じように。
御される側も。
力感を得ないので。
同じように御し返せないのか。
という質問が出た。
もちろん。
身体が整っていれば。
御すことも可能ではあるのだけれど。
捶を捶として出していないときは。
特に。
腕と体幹の接続部。
肩から背中に掛けての筋肉が。
伸びきってしまっているがために。
体幹の力が。
腕に行き渡らず。
御し返せないということを伝える。
試しに。
捶を捶として放って。
相手がその腕を防いでみると。
自分の体が自然体に近く。
勁力が伝えられる状態になっていることをわかってもらった。
伝えるための媒体の。
所謂勁道という経路が。
伸びきっていたり。
固まっていたり。
詰まっていると。
そこから先は死に体となってしまう。
常にその状態を避けられるか。
相手をどうするかよりも。
自分がどうであるか。
そこが問われていたりする。
そんな練習の一幕でした。
勁力を使って。
相手を制御する練習にて。
御する側は。
力感を得ないのと同じように。
御される側も。
力感を得ないので。
同じように御し返せないのか。
という質問が出た。
もちろん。
身体が整っていれば。
御すことも可能ではあるのだけれど。
捶を捶として出していないときは。
特に。
腕と体幹の接続部。
肩から背中に掛けての筋肉が。
伸びきってしまっているがために。
体幹の力が。
腕に行き渡らず。
御し返せないということを伝える。
試しに。
捶を捶として放って。
相手がその腕を防いでみると。
自分の体が自然体に近く。
勁力が伝えられる状態になっていることをわかってもらった。
伝えるための媒体の。
所謂勁道という経路が。
伸びきっていたり。
固まっていたり。
詰まっていると。
そこから先は死に体となってしまう。
常にその状態を避けられるか。
相手をどうするかよりも。
自分がどうであるか。
そこが問われていたりする。
そんな練習の一幕でした。
東京功夫小桜会