理を愉しむ中国武術を目指して <東京功夫 小桜会> Menu

雑記: 今の最大と次への準備

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武術の練習に限ったことではないのだろうけれど。

習い事のようなものは。

練習する日はある区切りになる。

この区切りの日に。

そこだけに焦点を当てて。

そこだけで練習をする人も居ると思う。

それはそれで。

その人の姿勢なのでよいとは思う。

その日に愉しんで。

そこでできる身体の可能性を最大限に拡げる。

次の区切りまでに。

身体が勝手に熟成してくれることに期待して。

或いはちょっと忘れてしまったりもするのだけれど。

区切りごとに少しずつ上達するのを愉しむ。


或いは。

区切りには間があって。

区切りの日ではその材料を手に入れて。

次の区切りへの間に。

その材料を料理することに勤しむ。

次への準備を愉しむ。

区切りの日は材料の仕入れ時だけでなく。

その間の成果の発表会だ。

そんな愉しみ方もある。


それぞれのよさがあって。

それぞれの罠がある。

区切りだけに焦点を当てると。

ただの興味だけで終わってしまう危険性がある。

区切り以外の方が人生を占める割合は大きい。

そこで積み重ねなければ。

本当に上達するということは難しいだろう。

翻って。

区切りの間だけに焦点を当てると。

区切りの日に怖れが沸いてくることがある。

材料の仕入れ時だと割り切って。

その日に全力を投じなくなったりする。

自分の本番はその間の日だと言い訳して。

その日はできなくてもよしと切り捨てる。

或いは。

成果発表だと思っているのに。

ほんとに発表するとできないときに自己嫌悪するので。

やっぱり本気を出すのを避けようとしたりする。


ずっと本気で打ち込み続けるのは。

しんどくなってしまうかもしれない。

ただ。

どうせ取り組むのであれば。

愉しみながら上達を目指すのであれば。

区切りとその間。

どちらかだけに焦点を当てるのは。

得策ではない。

そんな気がする。

どちらも境はなく。

道の上では同じくして等しいもの。

そこに境と区別をつけるのは。

人の成せること。

そんな自然の理のひとつ。

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~神秘と自然への道のりを悠々自適に共に歩こう~ 日本に伝わって、日本で育った中国拳法をベースにして、中国拳法の套路や概念を頼りに道を探求する会です。あくまでも楽しむこと。人生を豊かにする活動でありたい。本質を求めながらもたどり着くことに拘らない。求める過程を楽しんでいきたい。それを目指して、中国拳法の神秘性と実践性、道としての在り様に則って活動します。東京と愛知を中心に練習会を開催しています。

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