雑記:八極拳 衝捶のことはじめ①
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東京での練習の一幕から。
欄捶に続いて衝捶(しょうすい)にも取り組み。
衝捶は沖捶(ちゅうすい)とも。
打ち終わったときの形をみれば。
欄捶と衝捶はどちらも馬歩、或いは半馬歩であって。
身体に垂直に手が出るか、身体に沿って手が出るかの違いにみえる。
そんな角度も変化するのであって。
それぞれが45度ほど変わるとどちらもどちらとも区別がつかなくなる。
なのでだからしかし。
そこの形が違いでなく。
その運動の起こりと生成過程がそもそも違ったりする。
一度に完成させようとするとまた難しいので。
衝捶も段階的に区切ってみる。
まずはその場で打ち試し。
欄捶と異なって。
並歩の状態から足を前後に開く。
それに合わせるように肚の揺れは前後を基調とする。
動きは後で小さくすればよいのでまずはちょっと大きめに。
揺り戻しで前足と同じ側の腕を打ち出していく。
肩までの動きは異なるものの。
上腕から先の動きは欄捶とそれほど大差はない。
腕や手というのは器用ではあるのだけれど。
その器用さは誤魔化しに使われがちなので。
なるべく工夫せずに丹田からの勁力が通るように整える。
まずは馬歩になることは考えずに。
身体は横に回さずに姿勢はそのままその足その場で繰り返してみる。
余談にはなるのだけれど。
ここまでは順歩でも拗歩(ようほ)でもどちらでも打突できたりする。
実はここまででもなく。
拗歩で打ちながら順歩に切り替えるということもできるのだけれど。
この辺りはまたの機会だ。
閑話休題。
その場での動作に慣れてきたら。
一歩踏み出して打ってみる。
臍下丹田(せいかたんでん)から進み出るようにして。
前足の爪先が床に触れるくらいで搖動。
爪先からの反作用をもらってもよいのだけれど。
その辺りは慣れに合わせて自由に試す。
衝捶のことはじめとしては。
まずはここまでできちんと勁力を生んで伝えられるかが大事。
欄捶と同じように。
移動とセットで打ち出せるようにする。
まずはそこから。
欄捶に続いて衝捶(しょうすい)にも取り組み。
衝捶は沖捶(ちゅうすい)とも。
打ち終わったときの形をみれば。
欄捶と衝捶はどちらも馬歩、或いは半馬歩であって。
身体に垂直に手が出るか、身体に沿って手が出るかの違いにみえる。
そんな角度も変化するのであって。
それぞれが45度ほど変わるとどちらもどちらとも区別がつかなくなる。
なのでだからしかし。
そこの形が違いでなく。
その運動の起こりと生成過程がそもそも違ったりする。
一度に完成させようとするとまた難しいので。
衝捶も段階的に区切ってみる。
まずはその場で打ち試し。
欄捶と異なって。
並歩の状態から足を前後に開く。
それに合わせるように肚の揺れは前後を基調とする。
動きは後で小さくすればよいのでまずはちょっと大きめに。
揺り戻しで前足と同じ側の腕を打ち出していく。
肩までの動きは異なるものの。
上腕から先の動きは欄捶とそれほど大差はない。
腕や手というのは器用ではあるのだけれど。
その器用さは誤魔化しに使われがちなので。
なるべく工夫せずに丹田からの勁力が通るように整える。
まずは馬歩になることは考えずに。
身体は横に回さずに姿勢はそのままその足その場で繰り返してみる。
余談にはなるのだけれど。
ここまでは順歩でも拗歩(ようほ)でもどちらでも打突できたりする。
実はここまででもなく。
拗歩で打ちながら順歩に切り替えるということもできるのだけれど。
この辺りはまたの機会だ。
閑話休題。
その場での動作に慣れてきたら。
一歩踏み出して打ってみる。
臍下丹田(せいかたんでん)から進み出るようにして。
前足の爪先が床に触れるくらいで搖動。
爪先からの反作用をもらってもよいのだけれど。
その辺りは慣れに合わせて自由に試す。
衝捶のことはじめとしては。
まずはここまでできちんと勁力を生んで伝えられるかが大事。
欄捶と同じように。
移動とセットで打ち出せるようにする。
まずはそこから。
~神秘と自然への道のりを悠々自適に共に歩こう~ 日本に伝わって、日本で育った中国拳法をベースにして、中国拳法の套路や概念を頼りに道を探求する会です。あくまでも楽しむこと。人生を豊かにする活動でありたい。本質を求めながらもたどり着くことに拘らない。求める過程を楽しんでいきたい。それを目指して、中国拳法の神秘性と実践性、道としての在り様に則って活動します。東京と愛知を中心に練習会を開催しています。
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