2015年8月1日(土) 練習日誌
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いよいよ夏本番が近付いてきた。
暑さが照りつく外を避けて、本郷にある体育館の室内練習に逃げ込む。
月一回の東京での練習会。
今回は昔なじみの練習仲間も参加してくださった。
一人はひと頃の兄弟子に当たる方。
とても貴重な練習会になった。
まずはHさんに今年に入ってから進めていた八極連環拳の套路を披露してもらう。
そこから指導に入っていただくことに。
時間も豊富にあるわけではないので本質的なところだけ。
そのところズバリ。
八極拳としての発勁がない
なるほど。
致命的だけれど本当のところだから仕方がない。
僕もそこのところをきちんと修められているわけではないので、
僕から手解きを受けるHさんもいわんやといったところだろう。
曰く、
套路としての形はきれいなのだが発勁がないので武術として足りない
とのこと。
蓄(勁)がないから発(勁)がない
力みがあるだけで蓄になっていなくて発も長くて威力が伴わない
ということで、
套路の中身をこまごまというよりも冲捶(ちゅうすい)に限定して蓄発の練習へ。
まずは姿勢を整えることで蓄勁を成す。
力みではなくてたるむのでもなくて緩みと張りを。
そこから地面を蹴らずに起動して最後の瞬間に発勁する。
単式で目標物がないので発勁が最後の瞬間ではあるのだけれど、
蓄勁が成されていれば発勁のタイミングは決まっていない。
黙念師容(もくねんしよう)できるように動作をみせてくださる。
自然体から震脚(しんきゃく)と共に放たれる冲捶。
荘厳な美しさも感じるような一撃だった。
そこからはHさんが後を追いながら繰り返し練習を進める。
中国拳法らしい練習風景が始まった。
今日この日このときの練習はHさんにとってはもちろんのこと、
僕にとっても、そして兄弟子にとってもほんとに貴重な体験となった。
その詳しくはまたの機会に譲るとして。
とにもかくにも拳法を通した縁というのは面白い。
そんな練習の一幕でした。
暑さが照りつく外を避けて、本郷にある体育館の室内練習に逃げ込む。
月一回の東京での練習会。
今回は昔なじみの練習仲間も参加してくださった。
一人はひと頃の兄弟子に当たる方。
とても貴重な練習会になった。
まずはHさんに今年に入ってから進めていた八極連環拳の套路を披露してもらう。
そこから指導に入っていただくことに。
時間も豊富にあるわけではないので本質的なところだけ。
そのところズバリ。
八極拳としての発勁がない
なるほど。
致命的だけれど本当のところだから仕方がない。
僕もそこのところをきちんと修められているわけではないので、
僕から手解きを受けるHさんもいわんやといったところだろう。
曰く、
套路としての形はきれいなのだが発勁がないので武術として足りない
とのこと。
蓄(勁)がないから発(勁)がない
力みがあるだけで蓄になっていなくて発も長くて威力が伴わない
ということで、
套路の中身をこまごまというよりも冲捶(ちゅうすい)に限定して蓄発の練習へ。
まずは姿勢を整えることで蓄勁を成す。
力みではなくてたるむのでもなくて緩みと張りを。
そこから地面を蹴らずに起動して最後の瞬間に発勁する。
単式で目標物がないので発勁が最後の瞬間ではあるのだけれど、
蓄勁が成されていれば発勁のタイミングは決まっていない。
黙念師容(もくねんしよう)できるように動作をみせてくださる。
自然体から震脚(しんきゃく)と共に放たれる冲捶。
荘厳な美しさも感じるような一撃だった。
そこからはHさんが後を追いながら繰り返し練習を進める。
中国拳法らしい練習風景が始まった。
今日この日このときの練習はHさんにとってはもちろんのこと、
僕にとっても、そして兄弟子にとってもほんとに貴重な体験となった。
その詳しくはまたの機会に譲るとして。
とにもかくにも拳法を通した縁というのは面白い。
そんな練習の一幕でした。
~神秘と自然への道のりを悠々自適に共に歩こう~ 日本に伝わって、日本で育った中国拳法をベースにして、中国拳法の套路や概念を頼りに道を探求する会です。あくまでも楽しむこと。人生を豊かにする活動でありたい。本質を求めながらもたどり着くことに拘らない。求める過程を楽しんでいきたい。それを目指して、中国拳法の神秘性と実践性、道としての在り様に則って活動します。東京と愛知を中心に練習会を開催しています。
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